710年から794年までの間、奈良は日本の首都であり、政治・経済・文化の中心として栄えました。この時代に中国(唐)との交流を通して日本文化の原型が 形成されました。また、794年に首都が京都へ移った後も、大社寺を中心にした地域が宗教都市として存続して、繁栄しました。これらの文化遺産には宮跡・ 寺院・神社があります。

 平城宮は首都の北部中央に設けた天皇の居所であり、それに行政機関の施設が付属したものです。当時の宮殿や役所などの木造建築の遺構は今でも地下に良好に保存されています。首都とその周辺に造営された多くの社寺は、現在も法灯を伝えており、8世紀の堂宇をはじめ各時代の建物が残っています。
 薬師寺・唐招提寺には、8世紀の日本古代建物が残っており、これらは当時の仏教寺院の伽藍を代表するものです。東大寺・興福寺は、主要部分については兵火によって創建当初のものが失われましたが、広大な境内地のなかには8世紀の建物が一部残っています。
 失われたものの多くは12世紀に再興されました。再興に際しては、当時の新しい中国の建築技術が導入され、その代表的建物が東大寺南大門です。また、8世紀に再興された東大寺の金堂は世界最大の木造建物です。春日大社の建物は主に19世紀中頃に再建されたもので、日本の本格的な神社の伝統によって20年毎の造り替えが繰り返されていて、伝統の様式を今に伝えています。
■東大寺(とうだいじ)
仏の加護により国家を鎮護しようとした聖武天皇の発願で建立されました。751年に金堂(大仏殿)が完成、翌年には盛大な大仏開眼供養が行われ、伽藍全体がほぼ完成したのは奈良時代末でした。その造営は国の総力を挙げた大事業であり、空前絶後の巨大な建物群が建設されました。
■興福寺(こうふくじ)
前身の寺院が699年に創立されたのを起源とします。平城遷都に伴って現在の場所に移され、興福寺となりました。藤原氏の氏寺ですが、主要堂塔の建立の発願は天皇や皇后によるものが多数をしめます。これは藤原氏と朝廷との密接な関係を示すもので、造営工事も朝廷の直営で行われました。
■春日大社境内(かすがたいしゃけいだい)
社伝では768年創立と伝えられますが、実際には奈良時代初めに遡ると考えられています。古くから神の降臨する山として神聖視されていた春日山・御蓋山の西麓に、藤原氏の氏神を祀ったもので、藤原氏や朝廷の崇敬を受けて繁栄しました。
■春日山原始林(かすがやまげんしりん)
841年に狩猟と伐採が禁止されて以来、大社の神山として守られてきました。明治になって国有地となり、奈良公園に編入された後、春日山原始林として1924年に天然記念物に、1955年には特別天然記念物に指定されました。
■元興寺(がんごうじ)
6世紀に蘇我馬子が建立した飛鳥寺を平城宮に移転したものです。
■薬師寺(やくしじ)
680年に天武天皇が発願した官寺で718年に藤原京から平城京に移されました。730年には既に東塔が建立されています。その後、973年に金堂・東西両塔を除いてほぼ焼失したのをはじめ、1445年には大風で金堂が倒壊し、1528年には兵火で西塔も失いました。こうして創建時の建物は東塔のみとなりました。
■唐招提寺(とうしょうだいじ)
戒律を学ぶための寺として唐僧・鑑真が759年に創建しました。教義上、立派な伽藍よりも、住むに足るだけの僧坊・食堂と、仏法を講じる講堂が何をおいても必要であったことから、これらの建物が最初に建てられました。鑑真の没後、奈良時代末に金堂が完成し、810年には五重塔が建立され、順次伽藍が整いました。
■平城宮跡(へいじょうきゅうせき)
平城京の中央北端に位置する宮跡で、東西1.3km、南北1km、面積130haの広がりをもちます。内部には国の政治や儀式を執り行う大極殿・朝堂院、天皇の居所である内裏、行政機関である各役所などがありました。